玄米茶の愚痴や、暇潰しの短編を書いたりするよ多分
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いつも遅れていても仕方ないので、短編でも少し載せます。いつもと毛色が違うので、作者はこんなのも書くとか思っていてください。
web拍手の書いてみたいシリーズの木登りです楽しんでください。といっても掲載しているのはまだ三分の一ですよ。まだ続きます。
この学校には一つの大きな木があった。長老と呼ばれる一本の木が、屋久島の縄文杉とさえ互角に渡り合える木が、それは学校の子供が最初に挑みいつも先生方が生徒に注意するのが当たり前の一本の木があった。
誰もが挑みそして負けていく、小学校で誰もが挫折を始めて教えてくれる木があった。
大人だって簡単に登れるものじゃない、けれどその気の天辺には三人の名前が刻まれている。たった三人で木の必死に挑んだ少年たち、結局登っても降りることができなくておお泣きをした三人が。
このときおお泣き下三人の友人は、これから一週間後にみんな離れ離れになる事になる。その思い出作りにと、この長老の木に登って最後の別れのために、必死になった。それこそ深夜三時ごろの話、どうあっても彼らはこの木に登ることで、一生忘れないようにと考えたのだ。
けれど一人は病気で死んだ、もう一人は転校、もう一人はその小学校で卒業した。
結局のところ男友達たちの最後の記憶だ。
木登り
それから残った彼は、高校生になっていた。
それなりに勉強して、それなりの学校に通って、いつも自分の輝いていた頃の功績を見てはため息を吐く。それだけの生活をしていた、仰ぎ見上げるほど高い木、長老の木は今もまだ健在で、きっと刻んだ名前もまだ残っているだろうと、今はしゃげなくなった自分の姿を過去の自分に重ねるように懐かしそうに目を細めた。
この歳にもなれば、それなりの常識が無茶を阻む。何より小学校の敷地に入り込んで木を上るなど、相当の図太い神経でもなければまず無理だろう。かつての恩師はもう学校にはいない、それにいまさらこの年の子が木に登らせ下さい、少しばかり恥ずかしい。
無駄に育った羞恥心は、過去すら栄光にしてしまう。かつてはもっと大きいと思っていた長老、今でもその大きさは幼い時と変わらない気がする。
もしかしたら今もなお大きくなっているのかもしれない。それこそ彼の成長と同じほどに。
「まだ名前あるかな」
あってほしいのだろう、風雨に晒され削れているかもしれない。もしかしたら木がそれを消しているかもしれない。あれだけ刻み付けても木は木だ、生きているんだから、そんなこともある。
ひろき
たいよう
まもる
まだ漢字が書けなくてひらがなで書いた名前だが、一生懸命彫刻刀で彫った名前。勝利者の証のようで、三人で笑いあった。
正直成長期が過ぎて昔の姿なんか影も形もないだろう。最高の友達だと今でも思う、この木に刻んだ名前だけは俺たち三人のものだったと。
彼は今の自分を一度反芻する。
成績も悪くない、友人関係もそこそこ、先生からの信頼も得ている。けれど長老を見るたび思うのだ、この記の名前を見てみたいと。
最近の教育事情がこの長老の木を上る生徒を閉鎖し今では、登る子だっていなくなってかわいそうな木。いまでは誰も登らない、憧れだって抱かないと思う長老、今ではくたびれて弱ったように見えた。
けど今日は少し違った、いつもより動きやすい服。そして誰にもばれないように現れる草木も眠る丑三つ時。それは幼い時の挑戦のようだ。
長老もそれだけで偉大な強敵のように思える。次は負けて成るものかと体をガサガサと震わせて武者震い。スポットライトは月、特設リングは自然の最大限の宣戦布告だ。あの頃は三人しかいなかった。
あの頃は三人がかりで長老を倒してやった。
「だから今日は一人で勝ってやる」
一般常識はもういい、どうしても登りたくなった。ただ昔を思い出すために。
ばれてもいいけどばれたくも無い、だからこんな時間を選んで大勝負としゃれ込む。今度は降りるまでが勝利条件だ、風が少し強くなって勝負は開始する。
最初の難関は人の目といっても田舎の学校、この時間ともなれば人なんて起きてるほうが珍しい。
やあやあ我こそはと、心で一つ名乗りを上げて木に飛び掛る。長年彼らのような子供が登ってきただろう、木の肌は粗さをなくしてつるつるとしている。敵はかつてより兄妹になっていた。
けど彼も身長も伸びたし力もついた。相手よりも目立つ成長をした。
「勝負だ長老、今回も俺の価値で終わらせるからな」
一瞬長老を回って攻撃のポイントを決めて、軽く走り出す。それは昔と同じ攻撃場所、相手はまだ弱点を晒していた。
助走をつけて手ごろな木をつかみ、深夜の決闘は始まった。
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